筑後川水系における水資源開発基本計画

 国は、北部九州の水需要に対応するための水資源の開発を促進するため、水資源開発促進法に基づいて昭和39(1964)年10月、筑後川を開発水系に指定し、昭和41年2月、筑後川水系における水資源開発基本計画(以下「基本計画」という。)を閣議決定し、公示しました。

 基本計画は、筑後川水系において23.11㎥/sを開発し、福岡、佐賀、熊本、大分各県の農業用水、水道用水及び工業用水に充てる計画でした。

 また、農林省(現:農林水産省)が施行中の両筑平野用水事業(江川ダム)を、水資源開発公団(現:独立行政法人水資源機構)が継承することになりました。

 

【変更の経緯】

昭和41年2月

筑後川水系における基本計画策定

昭和45年12月

基本計画の一部変更によって寺内ダム建設事業が追加。江川・寺内両ダムの総合利用により新規都市用水貯水量830万㎥が確保され、福岡、佐賀両県内の水道用水3.65㎥/s(315,000㎥/日)が開発される

昭和49年7月

基本計画の一部変更によって筑後大堰、福岡導水の両建設事業が追加

昭和56年1月

基本計画が全部変更となり、農林水産省が施行中の耳納山麓土地改良事業(合所ダム)が組み込まれる

昭和59年2月

基本計画の一部変更により赤石川ダム建設事業が追加され、福岡県等の都市用水1.31㎥/s(当企業団0.603㎥/s)が確保

平成元年1月

基本計画が全部変更となり、目標年次、需要の見通し、供給の目標についての見直しが行われ、また、赤石川ダムが大山ダムに名称変更

平成5年9月

基本計画の一部変更により、福岡県等の都市用水の確保等を行う小石原川ダム建設事業が追加

平成11年1月

基本計画の一部変更により、福岡導水事業、大山ダム等の予定工期及び事業費の変更

平成17年4月

基本計画が全部変更となり、目標年次、需要の見通し、供給の目標についての見直し

平成25年2月

基本計画の一部変更により、両地区平野用水二期の予定工期が変更

平成27年12月

基本計画の一部変更により、小石原川ダムの予定工期が変更

平成30年6月

基本計画の一部変更により、今後、改築が予定されている事業を一括で追加

令和3年8月

基本計画の一部変更により、小石原川ダムの予定工期の変更

令和5年1月

基本計画が全部変更となり、リスク管理に向けた変更

 

 

【参考】 北部九州水資源開発構想

〇 北水協マスタープラン

 昭和38(1963)年10月、九州地方建設局(現:九州地方整備局)、九州農政局、福岡通商産業局(現:九州経済産業局)、福岡、佐賀、熊本、大分各県及び九州山口経済連合会は、北部九州の水需要に対処するため、筑後川を中核とした関連河川の実態を総合的に把握して、利水の恒久的対策の樹立及び治水、利水の合理的な開発を図る実施方策について協議することを目的として、北部九州水資源開発協議会(以下「北水協」という。)を発足させました。

 北水協は、筑後川とその関連河川を含めた北部九州の水資源開発を促進するための指針となる開発構想について、筑後川流域利水対策協議会(福岡、佐賀、大分各県流域市町村、土地改良区、漁業協同組合で構成)等とも協議を重ね、地元案として、昭和44年6月、北部九州水資源開発構想(北水協マスタープラン)を策定しました。

 北水協は、マスタープランの実現を促進するため、国等関係諸機関に対し、積極的な働きかけを行い、筑後川水系における水資源開発基本計画に反映され、江川・寺内両ダムをはじめ合所ダム等水源施設が逐次具体化しました。

 しかしながら、水源地域の諸情勢、ダムサイトの地質条件等により、マスタープランの供給目標の達成が見込めず、また、経済の高度成長期に想定した各種用水の需要量も、現状と大きな差異を生じたため、マスタープランの見直しが必要となり、昭和48年11月から改定作業に入り、昭和51年11月、第二次マスタープランを策定しました。

 さらに、昭和60年10月に ①第二次マスタープラン策定当時と比べ社会経済情勢が変化したことに伴う水需要の動向の変化 ②渇水対策の強化が求められていること ③第二次マスタープランの目標年次が昭和60年であること ④筑後川水系における水資源開発基本計画(フルプラン)の改定が必要なことを理由に、マスタープランの改定を行うことを決定しました。

 第三次マスタープランは、平成12年を目標年次として昭和63年6月に策定され、平成元(1989)年1月のフルプラン全部変更に反映されました。

 

○ 北水協 第三次マスタープラン

・ 基本原則

 第三次マスタープランの策定にあたっての基本的事項は、以下のとおりである。

(1) 水資源開発にあたっては、治水対策を優先的に配慮する。

(2) 水源地域対策の促進を図る。

(3) 不特定用水の確保を図る等、河川の環境保全に十分配慮する。

(4) 既得の水利権を尊重する。

(5) 流域内の需要については、優先的に配慮する。

(6) 水産業、特にのり漁業に影響をおよぼさないよう配慮する。

(7) 地下水採取による地盤沈下等の防止について配慮する。

・ 策定方針   

 第三次マスタープランは、以下の方針に基づき策定する。

(1) 目標年次は、昭和75年とする。(=平成12年)

(2) 計画対象地区は、原則として第二次マスタープランのとおりとする。

(3) 関係機関の各種の長期計画等との整合をもたせる。

(4) 流域内の需要に対しては、極力、自流域の開発に努める。

(5) 計画にあたっては、総量において極力需給バランスを保つようにする。

(6) 水資源開発にあたっては、既得水利権の尊重、および流水の環境保全を図るために、不特定用水の確保に努める。

(7) 流域内の需要については、優先的に配慮する。

(8) 需要の見直しにあたっては、事業計画が既に進捗しているものは優先する。

(9) 渇水対策の強化について検討する。

 

【参考】 筑後川の概要

 筑後川は、阿蘇外輪山の熊本県阿蘇郡南小国町に源を発し、山岳地帯を経て日田市に流下する筑後川本川の大山川と、大分県直入郡久住町から流れ出る支川の玖珠川を合流し典型的な山間盆地を流下し、急峻な夜明峡谷を過ぎ、佐田川、小石原川、宝満川等多くの支川を合わせ、肥沃な筑後、佐賀の両平野を貫流して有明海に注ぐ、幹川流路延長143㎞、流域面積2,860㎢の九州最大の河川です。

 筑後川は、「筑紫次郎」と呼ばれ「坂東太郎(利根川)」「四国三郎(吉野川)」と並び称される日本三大暴れ川として有名な河川ですが、古くは、「千年川」「千歳川」「一夜川」あるいは「筑間川」などと呼ばれてきました。

 筑後川の流域は、熊本、大分、福岡、佐賀の4県にまたがっており、その沿川は豊かな自然環境を有し、筑後川と周囲の山々が調和して緑豊かな景観美をつくり、下流部は、特有の汽水環境を形成しています。陸上交通が不便な時代にあっては、水運は最も有効な交通手段であり、筑後川も古くから舟運やいかだ流し等に利用されてきました。

 筑後川の歴史は、洪水と治水の歴史であったとも言われています。明治以降においても数多くの洪水が記録されていますが、明治22(1889)年7月、大正10(1921)年6月及び昭和28(1953)年6月に発生した洪水はいずれも大きな災害を引き起こしました。

特に、昭和28年6月の大水害は、「28災」と呼ばれ、死者147名、被害者54万人、流失全半壊家屋約12,800戸に及ぶ筑後川史上最も甚大な被害が発生しました。

 筑後川における治水事業は、明治17年の部分的な改修にはじまり、明治20年からは、金島、小森野等の捷水路(※1)の工事などに着手し、その後、堤防、護岸等の河川改修工事が繰り返し行われ、さらに、松原ダム及び下筌ダム等の建設による洪水調節、筑後大堰建設による洪水疎通機能の増大等流域を水害から守るための対策が進められました。

 河川水については、古くから農業用水として利用されており、本川中流部では、大石、山田及び恵利の三大堰を始めとした井堰により、かんがい用水の供給が行われています。

 下流部では、有明海特有の大きな干満差により生じる淡水(アオ)(※2)及びクリークによるかんがいが行われていましたが、現在では筑後大堰から用水路等を通じてかんがい用水が供給されています。筑後川に依存するかんがい面積は約55,000haに達しています。

 また、水力発電用水としても利用され、さらに、都市用水としては、流域内の久留米市、鳥栖市等において取水されているほか、導水路を通じて福岡都市圏、佐賀都市圏等へも広域的に利用されています。

 

 

※1  捷水路(しょうすいろ(ショートカット))  

 河道の曲りが甚だしく、洪水の円滑な流下が妨げられる場合、洪水の疎通を図るため、流路を短縮して新しく開削する水路(河川)。また、河川が狭く、流下能力は低い場合、分水路により対処されています。

 

 ※2  淡水(アオ)取水農業

 入り潮時に海水が河川をそ上すると河川水(淡水)は、上流又は表層に押し上げられます。この押し上げられた淡水をかんがい用水として取水する形態をいいます。